はじめに
あけましておめでとうございます。マアト(id:maat-drop)です。
ブログは、これまでも、書いては捨て書いては捨て、していましたが、今年、2017年から、少し真面目に考えていることを書こうと思っています。
わたしが真面目に考えていること
わたしは、「わたしは」と、一人称で語ろうとするけど、自己が「自分」として成り立たなくなる精神の病(統合失調症)で、既に寛解して、元気に過ごしていますが、自由だと思っていた自分の精神や心に何が起きたのか、など、そこらへんばかりを、何年もずっと考えていました。
わたし自身の病について、脳の神経伝達物質の異常であると、人に説明することはあるけれど、それは、対症療法の薬が神経伝達を調整する性質のものということで、原因は、お医者さんでも、はっきりとした結論に至ってはいないようです。
なぜ、あのようになったのか、わたしは知りたくて、本を読んでいます。
ストレスや過労といった個人的な出来事を理由として特定したいわけではなくて、もっと一般的な理由があるかなって。
自分と他人のあいだが判然としなくなったり、意思や行動の向きみたいなものが逆流したり、という体験が、8年前に2か月続いたことは、ちゃんと記憶にある。
なぜ、そういうことが起こりうるのか。
勇気づけられた考え方「物事がある状態にあり、別の状態にないなら、なぜかと理由があるはず」
たまたま昨日読んだ本の著者の姿勢が、上記見出しに書いたような「物事がある状態にあり、別の状態にないなら、なぜかと理由がある」というものでした。
『意識はいつ生まれるのか 脳の謎に挑む統合情報理論』
本の内容自体には、わたしの問題についてのヒントは、あまりなかったです。
でも、「多様な情報の選択肢の中から、単一の情報を選び取る」という意識の性質は面白かったです。
それで、話を戻すと、「物事がある状態にあり、別の状態にないなら、なぜか理由があるはず」というのは、わたしの問題について、解明の希望があるのではないかな? と思ったのです。
わたしには、実験などで論拠を裏づける能力がなかったり、的確な言葉で表現する手間を省いたりするところがあるので、謎の解明は、遠い道のりです。
せいぜい、書かれたものを読むしか、知る手立てはないのだけど。
でも、わたしには、書かれたものを書いた人が、実際には体験していないことを経験した、という一点において、もしかしたら、役に立てるのではないか。
例えば、「わたしが、スキゾフレニア(統合失調症)だけれど、パラノイアにはならなかった理由」とか、木村敏さんの著作などを読んで、実感として、わたしがどんな気質の人間であったかとかをふまえて書くことなら出来るかもしれません。
とりあえず書いてみる☆
とりあえず書いてみることに尽きます。
方向性も、ころころ変わるかも。
それで、今は、3冊併読しています。
現代思想の木村敏特集と、郡司ペギオ幸夫「デジャブ・因果論・量子論」。
森田亜紀「芸術の中動態」。
わたしの実感では、統合失調症の妄想は、考える前から意味が決まっているのだけど、どのように、その意味にフォーカスするのか、気になり中。
あとは、幻聴が「聞こえる」から「聞く」になってくんだけど、そこらへん。
わたしの症状ですが、幻覚妄想(陽性症状)は初発急性期のみで、きつかったのは、陰性症状といわれる方でした。
そのことも、気が向いたらというか、何か思いついたら、書いてみたいです。
おしまい。